2015.12.20 桑都日記
日野宿本陣文書検討会では石田散薬販売先「村順帳」調査と併せ
資料に登場する石田散薬についても手掛かりがないか調査を進めている。

①調布日記

土方家は石田村名主をつとめたこともあり江戸時代、幕府の支配勘定役で、大田直次郎という有名な狂歌師がおり、号を南畝 蜀山人と称していました。

「調布日記」に土方家について、次のように記しています。

文化6年(1809)2月22日の調布日記 国立公文書館内閣文庫蔵

陰晴さざまらず、余寒はなはだし。巳の時前にやどりを出て、本宿村、四谷村の用水を見て、上谷保村の堤を見、舟にてむかうのきしにわたり、石田村の農夫隼太(土方氏)がもとにて昼の喰をくふ。あるじは医をよくして、骨接の薬をひさぐ。

手習ふ子供多くみえたり。ふすまにかける山水は吉田蘭光の画にして、三月亭といへる額は源師道の書なり。
水車ある所を過て、上落川村の里正与五右衛門が家にいこふ。ここに古文書あり。・・・以下省略




②桑都日記


桑都日記は八王子千人同心 組頭 塩野適斎がまとめた千人同心及び江戸時代の歴史を記録したものです。

文政期から天保期にかけて編まれた多摩地方八王子地区の地誌書で千人同心組頭・塩野適斎が編纂した。

多年の調査と膨大な資料をもとに、1582年天正10年(1582)から文政7年(1824)までの243年間を、
八王子千人同心と地域の様々な事項について、編年式に解説を加えたものである。

文政10年(1827)に正編15巻23冊、図解1巻2冊が完成、天保5年(1834)に続編24巻24冊、図解1巻1冊を脱稿し、正続合わせて江戸幕府に献上された。八王子の歴史研究の第一級資料となっている。


続篇 八 に接骨薬として石田散薬が紹介されています。

接骨薬 石田村 石田隼人所製也 累世家傳之妙薬也 


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③玉利軒日記 萬記録と記録帳に二冊 宝暦6年(1756)から明治7年(1874)まで118年にわたる公私文書

武蔵国多西郡小山村 造り酒屋玉利軒・島崎又左衛門家に残された古文書

記録帳 「一きづ薬 川そば(牛ひたい草とも言)黒やきにして付てよし言 石田薬に沢山入る草也」

近くには近藤勇の義父 島崎周助の実家である造り酒屋「中の倉」も近くにある。
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